代表、宮家由樹朗からのごあいさつ
はじめまして。株式会社サンクスポートの代表、宮家由樹朗と申します。
弊社の理念でもお伝えした通り、わたしたちは、清掃と製造で社会を支える仕事をしていますが、どちらも目立たない仕事です。決して世の中の「花形」ではありませんが、社会的価値の高い仕事です。
実は私のキャリアは、某テーマパークへの就職から始まりました。お客様に接客する、いわゆる花形の仕事にも、裏から支える清掃の仕事にも、両方携わりました。そこで感じたのは、清掃業の社会的価値とイメージのギャップ。この時の経験が原体験となり、起業につながっています。
わたしたちが清掃業と製造業に携わる理由として、この世界になくてはならない仕事なのに、低く見られがちなこの現状を変えたい、という想いが強くあります。ですから、まずは弊社でともに働いてくれる仲間に誇りを持って働いてき、やりがいを実感してほしいと思っています。
少しでもピンと来た方、ご連絡、お待ちしております。
株式会社サンクスポート
代表取締役 宮家由樹朗
サンクスポートのなりたち
はじまりはユニバーサルスタジオから
株式会社サンクスポートは、現代表の宮家由樹朗が、2023年3月1日に立ち上げた会社です。
代表の宮家由樹朗の初の海外旅行は、大学の時。ハリウッドでした。ここでディズニー以上にユニバーサルスタジオに感銘を受け、「こんなテーマパークで働けたら絶対に楽しいな」という想いを胸に帰国。その際、たまたま阪急電車のつり広告にてUSJの広告を発見。これが、USJとの運命の出会いでした。
在学中にUSJでアルバイト採用内定。
のち、複雑骨折で即退職。
とはいえ、USJでのキャリアをスムーズに積めたわけではありません。
大学在学中にアルバイト採用いただいたものの、その帰り道で事故。複雑骨折で即退職。その数か月後、グランドオープン後に再び採用いただくチャンスを得て、ようやくアルバイトとして勤務できることになりました。
「卒業後はこのまま社員として働こう!」と思い、新卒採用を受けることに。経験も積んでいましたので、まぁ大丈夫だろうと思っていたのが災いしたのか、なんと、不採用。そのままフルタイムのパートとして働き、その2年後の2008年にようやく契約社員として採用頂く…という紆余曲折のスタートです。
USJで学んだこと。価値観の源泉
晴れてUSJに入社できましたが、ここからは順風満帆なキャリア…ではありません。
転機は4年目。「パークサービス」という清掃セクションに異動になったことです。
それまでのメインの花形部署から、真逆の日陰の部署への異動。自分でも「なんで?」とも思いましたし、周りからの目も一瞬で変わりました。それまで傲慢だった自分に気がつけたのもありますが、ここで出会った清掃の仕事が、いまのサンクスポートの清掃部門につながっています。
USJで学んだことや、現在の価値観につながる源泉となったことはたくさんありますが、ここでは3つ、取り上げます。
1.サービスは掛け算
お客様からのクレームを紐解いていくと、どのクレームも、お客様が不満を感じる要因は様々だということがわかります。と、なれば、何かでお客様が不満を感じられたら、わたしたちの提供しているサービスは0点になります。
これが、サービスは足し算ではなく掛け算としている所以であり、サンクスポートでも全く同じです。
2.発言する風土、聴く風土
当時のUSJはボトムアップで、現場からどんどん意見があがってくる。すごいスピードで変わっていきます。社員でもアルバイトでも関係なし。とにかく、どんどん意見がいえる場ですし、採用もされます。やりがいが生まれます。
ただし、発言する風土は表の存在。その裏には、聴く風土がきっちりあります。たとえば、何か問題が起こったとします。すると管理職は、よく他のスタッフに「〇〇さんはどう思う?」という投げかけをしていました。役職関係なく、です。
サンクスポートは「聴く」を大切にしていますが、それにはこういった「どんどん発言できる風土にしたい」という価値観の側面もあります。
3.職業差別をなくす
これはUSJでの体験からは少し飛躍した表現になりますが、私、宮家が4年目に異動した部署は清掃セクションであり、いわゆる日陰の部門です。
ただ、金属加工と同様、表舞台を陰から支える、大切かつなくてはならない仕事です。が、世の中の評価としては低く見られがち。
この体験と、そこから醸成された価値観として、清掃業の社会的地位を上げたい、世の中から職業差別をなくしたいという想いにつながっていることは確かです。
つくれないを、つくらない
その後は飲食業、ビルメンテナンス業とわたり歩き、あるテーマパークの責任者就任のオファーをいただきました。ですが、そのタイミングで金属加工業を生業とする会社に呼ばれ、就職。親類の会社でした。そのため、一族を助けるためという想いから、テーマパークの件は断り、金属加工業のこの会社に入ることにしました。
結果、経営陣と折り合いが悪かったため、清掃部門と金属加工業を、実質的に引き継ぐ形でスタートしたのが、いまのサンクスポートです。
最後に、この会社で学んだ大きなことをひとつ、取り上げます。それは、つくれないをつくらない、です。
これは文字通り、金属加工で製作する部品のことで、いまのサンクスポートの「できない理由を考えるのではなく、できる方法を考える」という判断基準につながっています。
サンクスポートについての6つの質問
サンクスポートについて、代表の宮家に6つの質問を投げてみました。